ブログの下書きを見返していると1年前の東京旅行について中途半端に記された文章が出土した。途中までしか書かれていないが、友人と思い出を共有するために記事をアップする。なお、友人がこのブログを読んでいるのかどうかは定かではない。
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昼寝をしていたらLINE通話がかかってきた。画面を見ると親友のYだった。2度寝する事にした。
今度は携帯の電話番号に着信があった。親友のYだった。余程のことがあったのだと思ったので電話に出た。
「もしもし」
「もしもし、ごめん寝とったか」
「うん」
「あのさ、お前、明日、明後日……明明後日くらいまで暇?」
「明日は用事あるけど、それ以降は暇やな」
「そうか…東京行かね?」
こうして僕の東京旅行が決まった。
Yは次の日の夜に車で迎えに来た。夜間の方が高速代が安いため、この時間に出発するようだ。新幹線や夜行バスではなく、自家用車で行くあたりが車好きのYらしかった。そもそも、初めYは単独で夜行バスを用いる予定だったという。しかしながらYは自分が運転する乗り物以外は酔うらしく、かと言って一人で長時間運転するのも暇だということで僕が誘われたらしかった。急に誘うYもYだが、誘いに乗る僕も僕だと感じる。不意に誘われても直ぐに応じる生活リズムのなさが二人の仲の良さだと思った。ちなみに、僕はこの日の日中は母親を和歌山の温泉に連れていく運転手を仰せつかっていたので、中々に疲れていた。我ながらよく誘いに乗ったものだと思う。
先ずは近所のスーパーに寄って飲み物を買うことにした。そこで知らんオバチャンに
「すみません、荷物が重いから自転車のカゴに乗せてくださる?」
と頼まれた。これに対しYは
「ああ、いいですよ!」
と快諾した。この優しさはYの魅力のひとつだ。僕なら、一度に持てないなら数回に分割してカゴに載せればいいじゃないかと思ってしまうし、実際思っていた。彼はすごく良いやつだ。
買い物を済ませ、僕らは東京へ向かった。道中は何を話したかよく覚えていない。Yとの会話は中学の頃から他愛のないものばかりで、この他愛のなさがかえって落ち着く。
東京へ着いた。何の予定も決めていなかった僕らは、先ずは友人のTの家を目指した。Tは高校の同級生だ。漫画家を目指して上京したため、最終学歴が大学附属高校卒という変人である。現在は実質ニートなので僕らの急な誘いにも快く応じてくれた。一応言っておくがこれは別に悪口ではない。愛のあるイジりというやつだ。Tと会うのは一年ぶりだったが、全く変わっていなかった。あいも変わらずハダカデバネズミみたいな顔をしていた。これは悪口だ。愛もクソもない。
余談だが、Yとは中学で知り合い、Tとは高校で知り合った。Yは僕とは別の高校に進学したのでこの二人には元々接点は存在せず、初めは所謂「友人の友人」という関係だったはずなのだが、いつの間にか二人は仲良くなっていた。YはTとだけでなく、僕の高校の友人の殆どと仲がいい。コミュ力の権化のように思えるが、決して陽キャという訳ではない。本当にこいつは宇宙人だと思う。
更に余談だが、僕の出身高校は大学の附属高校でありながら、進学が当たり前という風潮はなかった。もちろん勉強に励みたい人にはそれなりの環境が与えられたが、そうでない人にまで強要するような空気はなかった。良くも悪くもちゃらんぽらんだったので、Tのような夢追い人がいても排除されることはなかった。これが本当の進学校だったら、Tは周囲からの勉強の圧力に屈していたかもしれないと時々考える。ある意味で、我が母校は自称進学校であり、それ故のメリットが多かったように思える。
話を戻す。僕らはお台場に向かうことにした。ゆりかもめに乗って行くことにした。ゆりかもめと聞くと僕は森鴎外を連想してしまう病気を患っているので、YとTに「森鴎外の鴎はカモメって意味やで」という話をした。その話をする頃には、僕はウンデルデンリンを連想してしまう病気を患っていた。
お台場は楽しかったが、具体的な思い出は特にない。東京湾が茶色くてヘドロのような匂いがしたことくらいしか記憶にない。マジで臭かった。
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文章はここで終わっていた。めちゃくちゃ打ち切りな終わり方である。麻雀で言えば東二くらいである。俺たちの戦いはこれから過ぎるのである。
東京湾はマジで臭かった。