思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

猫ミームから考えるミームの恐ろしさ

ハッピーハッピーハッピー♪ハピハピハピハピハピー♪

この文章を見て頭の中に猫が思い浮かんだ皆さん、恐ろしいですね。

 

この一文は現在インターネット・ミームとして流行している猫動画において、その一節で使用されている音楽の歌詞である。この曲が使用されている猫動画は、猫が両前足を上げながら跳ねるような動作をするものであり、通称ハピハピ猫と呼ばれている。このような特徴的な動きをする猫動画と音楽を組み合わせたものが複数流行しており、これら一連のミーム群は猫ミームと呼ばれている。それぞれの猫ミームをプリセットのように扱って組み合わせることで新たな猫ミーム動画が簡単に作成できるため、現在では有志によって猫ミーム動画が日夜作成され、ネット上に公開されている。

 

ここでは、ミームの恐ろしさについて考えてみようと思う。猫ミームはその愛らしさと親しみやすさ、新たな動画の作成の容易さから爆発的な広まりを見せている。ここで考えなければならないのは、猫ミームで使用されている素材の著作権であろう。まず、猫そのものに着目してみると、そのほとんどは家庭で撮影されたものであるように見える。このように一般個人によって撮影された動画はフリー素材目的として撮影されたとは考えづらく、撮影者に著作権が生じていると考えるのが妥当であるように思う。同様に、使用されている音楽についても、フリー音源でなければ著作権について考えなければならない。これらの著作物がミームとして拡散されている現状は、権利が蔑ろにされたまま素材が独り歩きを続けている様相を呈している。恐ろしい。

 

さらに恐ろしいのは、このミームが人を素材として拡散を始めた時である。ハピハピ猫が流行したとて猫そのものは何も感じないであろうが、ハピハピ人が流行した時にはその張本人は町を歩けなくなるかもしれない。このように、人ミームが流行した際には、猫ミームで見られた恐ろしさに加え、ミーム化した人への配慮がなされないことで社会的な攻撃に繋がってしまう恐ろしさを孕んでいる。恐ろしい。

 

さらにさらに恐ろしいのは、人ミームがノンフィクション的に拡散を始めた時である。現在の猫ミームは猫がある種の俳優のように使用されている。この場合、猫ミームはフィクション的な制作をされており、現実の猫そのものと猫ミーム上の猫は乖離している。一方で、ニュースのインタビュー等の一節が切り取られて拡散された時、それはノンフィクションの様相を帯びたミームとなる。現実の人そのものとミーム上の人が乖離していないのだ。このような場合においてミームが批判された時、現実との乖離が起きていないために、あたかもミーム化した本人が直接批判をされているかのように捉えることができてしまう。これは個人への集団的な精神攻撃である。とても恐ろしい。

 

さらにさらにさらに恐ろしいのは、上記のような恐ろしさは注意しなければ気づきにくいということだ。現在はネット上で気軽に情報の拡散が可能であるため、ミームの拡散時に恐ろしさに気づく暇がない。我々は罪悪感もないままに、著作物を蔑ろにし、ミーム化したものに対して社会的かつ精神的な攻撃を与えてしまう可能性がある。とっても恐ろしい。

 

こんなにも恐ろしいミームを恐ろしいものにしないために、ネットリテラシーの向上が求められる。現在の日本では大学受験科目で情報のウェイトが大きくなってきていることから、ネットリテラシーの向上はある種社会全体のテーマであるといえよう。みんなもネットリテラシーを高めて、みんなでハッピーになろう。ハッピーハッピーハッピー♪ハピハピハピハピハピー♪