思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

自分とは

「人のことなら考えられるのに自分のことになると途端に考えられなくなる」

 

友人は僕のことをこう評価した。その通りだと思った。

 

僕は今まで他人のために行動することは素晴らしいことだと思っていた。いつだってヒーローは誰かのために全力で行動する。それが僕にはとてもかっこよく見えた。僕はヒーローになりたかった。真っ赤な色は主人公の色だから、物心ついた時から赤色を好むようになった。高校生の頃はずっと赤い靴を履いていた。形だけでもヒーローに近づきたかった。

 

誰か困っている人がいたらできるだけ助けたいと思っていた。どんな些細なことでも相談されたら全力で答えていた。高校に意見箱なんてものを設置したかったのも、生徒の悩みを少しでも解消したかったからだ。僕はヒーローではないけれど、僕の周りにいる人くらいは救いたかった。笑顔でいて欲しかった。幸せになって欲しかった。

 

だから、僕は常に誰かのことを考えて行動していた。高校生の頃はよくドヤ顔で自慢等をしていたが、それは僕がナルシスト極まりないという訳ではなく、ナルシスト極まりない行動が周りにウケたからだ。周りの人が喜ぶ自分を演じていた節があった。周りの人が笑顔でいると、自分も嬉しかった。

 

しかし、最近は周りの人が嬉しそうでも、自分は嬉しくない時が増えてきた。笑っている素振りを見せてはいるが、心はそんな自分を俯瞰し、蔑んでいる時が多くなった。話が合わない人と無理して話していると、こんな話がしたいのではないと心が主張しだした。ただ、心はこんな話はしたくないと主張するだけで、どんな話がしたいのかは教えてくれなかった。

 

では、僕はいったい何が話したいのだろうか。僕は何を望んでいるのだろうか。周りの人は楽しそうに話しているのに、何故つまらないのだろうか。この状況を望んでいたのではないのだろうか。ヒーローになりたかったのではないのだろうか。

 

そんな時、1番初めに書いた言葉がLINEに送られてきた。僕という人間の核心をつかれたと思った。僕は他人の望む自分を演じ続けた結果、どれが本当の自分なのか分からなくなってしまったのだろう。ああ、僕は自分のことすら分かっていないのに、他人のことを分かろうと必死になっていたのかと、この言葉を見て思った。ふと泣きそうになった。

 

本当の自分とは何だったのか、とても考えた。ヒーローになりたかった自分は本当ではないかと思った。しかし、ヒーローになるために演じていた自分は虚像だろう。本当のところは、僕は人助けがしたかったのではなく、人助けをした自分を誰かに褒めて欲しかっただけなのだろう。本当の僕とは、ただ単に人に認められたいだけの、幼稚極まりない人間だと気づいた。僕は、○○さんがかわいいとか、××さんがウザイとか、そんな話を嗜めるほどおませではなかったから、こんな話をされると、こんな話を笑って聞いている自分を心は蔑んだのだと感じた。

 

しかし、自分は幼稚な人物だと分かった気になっているだけで、これも自分が幼稚な人物を演じているだけなのかもしれない。演じているのかもしれないと思っている自分を演じているのかもしれない。もう僕には僕がわからない。

 

ただ、「人のことなら考えられるのに自分のことになると途端に考えられなくなる」というのは、すごく的確だということは分かる。実際、僕は自分のことはよく分からないが、他人のことはそこそこ分かるようになったと思っている。これを見抜いた友人は僕のことをよく見ているなと思った。こういう友人を大切にしたい。

 

友人を大切にしたいと思っている自分を演じているのかもしれない。その場合、僕は僕のために友人を利用していることになる。申し訳なくて切腹したくなる。

 

切腹したくなるだけで、切腹は痛そうなので実際はしない。もし切腹をしても、友人が困惑するだけなのでやめる。

 

こんな文章を世に残している時点で、友人は困惑しているかもしれない。申し訳なくて切腹したくなる。以下、無限ループ。