思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

「読書家」の敷居が高い

僕は本を読むのが好きだが、読書家ではないと思う。と言うのも、僕は本を読むペースがかなり遅い。月に数冊しか読めない。これ以上読もうとすると、僕のキャパシティを超えてしまって、純粋に本を読みたくて読んでいるのではなく、大量に本を読み耽る自分になりたくて読んでいるように思われる。これでは見栄でしかないだろう。

 

それでも好きな物は好きなのだが、月に数冊しか読まない人間が読書家を公言するのはどうかと思ってしまう。世の中には月に何十冊と読む人間がいて、もし僕が読書家を名乗ってしまえば、彼等に申し訳が立たないし、彼等も「月に数冊しか読まない程度の人間が何を言っているんだ」と僕を批判するだろう。

 

僕は本を読むのが好きだが、特に好きな作家がいる訳ではない。強いて挙げるなら太宰治が好きだが、それでも4、5冊程度しか読んだことがない。好きな作家も満足に答えられないような人間が読書家を公言するのはどうかと思ってしまう。世の中には文豪と敬称される方々の作品をこよなく愛する人間がいて、もし僕が読書家を名乗ってしまえば、太宰に申し訳が立たないし、太宰も「私より井伏鱒二を読んだ方が幾分かまともに思われるでしょう」と自らを嘲笑するだろう。

 

僕の中で読書家とは、暇さえあれば本を開き、文字を眺め、推しの作家をこよなく愛する人間である。対して僕は、暇さえあればスマホを触り、Twitterを眺め、推しの友人のツイートをニヤニヤしながら鑑賞する人間である。読書家の肩書きは僕には不釣り合いだ。

 

しかし、上記に挙げた読書家の特徴はあくまで僕の感覚であり、実際に読書家とは斯く言う人間であるという決まりは存在しないだろう。読者諸君はどう思われるだろうか。本を読むのが比較的好きだが、読書家は名乗り難いと思ったことはないだろうか。もし心当たりがあるならば、何故そう思ってしまうのかという読者諸君なりの意見とオススメの本を是非僕に教授願いたい。