桜は春が終われば散っていく。夏になれば青々とした葉を広げるが、秋になれば落葉する。冬には全てを失い、みすぼらしい枝を露呈する。永遠などこの世に存在しない。
しかし、春はまたやって来る。また桜は咲く。また葉を広げる。落葉しても、そこには蕾が残っている。次の春を待ちながら、冬を耐えて忍んでいる。いつまでも桜は桜として四季を彩っている。これは永遠ではないだろうか。
花火は上がったと思えば一瞬で広がって、一瞬で消えてしまう。後に残るのは火薬の匂いと、轟音が駆け抜けたあとの静寂。この花火が永遠だったらどうだろう。
花火は一瞬で儚く散っていくが、儚く散っていった花火を見ていた、あの瀬戸内の港での思い出は、今も色濃く残っている。皆で手持ち花火を楽しんだ、あの夢前川の河川敷での思い出は、今も僕を郷愁に駆らせる。これからも花火は、僕らを鴨川に集合させるだろう。一瞬の輝きがつくりだした永遠の思い出は、一生消えることはないのだろう。
永遠などこの世に存在しない。研究者になりたいというあの頃の夢は、手が届きそうになるほど夢ではなくなってしまう。昔は疑いもしなかった未来予想図に、本当にこれでいいのかと毎日問いかける。
永遠などこの世に存在しないのならば、いっそのこと辞めてしまえばいい。そう思うことも少なくなくなった。
それでも尚、永遠を信じていたい僕がいる。
永遠などこの世に存在しない。でも、永遠などないと知っていながら、分かっていながら、それでも永遠を誓うことに意味があるのかもしれない。
永遠などこの世に存在しないと知っていながら、それでもこの世を歩んでいきたい。