思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

芸術家

芸術は大衆に理解されなくていい。ただ己を表現するだけでいい。自らの意思を、時に繊細に、時に荒々しく創造するだけでいい。その結果として大衆に理解されるならいいが、先に大衆に理解されることを望み、大衆向けに造られた芸術は、大衆がその芸術家をコントロールして創造した作品であり、芸術家の本心とは言えない。

 

僕はこの考えから、自分の想いを言葉にしたり、絵にしたり、音楽にしたりして表現し、この世に残したい。この世に残さなければ、いずれこの想いは脳内で風化し、一筋も思い出せなくなってしまう可能性がある。僕はそれが怖い。芸術家として作品に残せれば、この憂いが消える。

 

しかし、言葉にしても、絵にしても、音楽にしても、僕には自分の想いを完璧に表現する能力がない。心では確かに感じていても、それが上手く言葉にできない。それが上手く絵に描けない。それが上手く歌えない。単純に語彙力がない。絵心がない。リズム感がない。これらの育み方も僕は知らない。

 

別に、拙い文章でも、下手くそな絵でも、音痴な歌でも、完璧でないだけであって、表現することは出来る。自分さえ満足すればそれは芸術であって、僕は芸術家になれる。

 

しかし、僕は自分さえ満足すればいいと思っていながら、それと同時に大衆にも理解されたいと思ってしまう。頭では間違いだと分かっている。大衆に理解されるように棘を取ってしまったらもうそれは薔薇ではない。それどころか、本来その棘がもつ魅力に深く感銘を受けたであろう、数少ない理解者をも失うことになる。そんなことは分かっているが、分かりたくない。

 

せめて、数少ない理解者の心を揺さぶれるような、とびきり鋭利で殺傷能力のある棘を表現できるような人になりたいが、前述のように、僕には才能がない。

 

このように、ぐちゃぐちゃと頭の中で考えながら夜をふかし、今日も朝を迎えた。朝を迎えるつもりは全くなかったのに、朝の方からさあ迎えろと図々しくやって来たので、迎えざるをえなかった。今日も一日が始まる。