思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

飛び抜けない才能

僕はそこそこ頭がいいと思う。東大に現役で合格するほど飛び抜けている訳ではないが、名大には現役で合格した。何かひとつの科目だけという訳でもなく、どの科目も、得意不得意はあれども、そこそこに出来る。得意科目がないという訳でもなく、生物が得意で、高校生の時には模試で偏差値80越えとか普通だった。そこそこ人に自慢できると思う。

 

僕はそこそこ運動が出来ると思う。甲子園に出場できる程飛び抜けている訳ではないが、小学生の頃は小さな野球の大会で優勝したことがある。ドッジボールが得意で、たぶん学年で1番上手かった。足もそこそこ早くて、高校生の頃は文化部に所属していたが、体育祭の男子リレーでは1人抜いて貢献した。高3の時に行った体力テストの成績も平均9点ぐらいで余裕のAだった。そこそこ人に自慢できると思う。

 

僕はそこそこリーダーシップがあると思う。ベンチャー企業のやり手社長ほど飛び抜けている訳ではないが、生徒会長の経験がある。人を纏める力や、責任感は他の人よりもあると思う。成功するためなら、自己犠牲も割と厭わない。人前で話すこともあまり抵抗がなく、よく先生方から口が上手いと褒められた。口が上手いからか、部活の発表会なども成績がよく、全国大会で表彰された。そこそこ人に自慢できると思う。

 

僕はそこそこ絵が上手いと思う。作品が高値で取引されるほど飛び抜けている訳ではないが、危うく僕の描いた絵が小学校の渡り廊下に永遠に飾られそうになったことがある(これは僕が先生に呼び出されていたことを失念していたので、呼び出されていたもう1人の絵が飾られることになった)。中1の頃に描いた鶏の絵は教師にべた褒めされたし、中3の頃に描いたよくわからない絵も廊下に飾られた。いつだったか忘れたが、僕の作品がよくわからない市の建物に展示されたこともある。そこそこ人に自慢できると思う。

 

僕はそこそこ歌が上手いと思う。すぐにでもメジャーデビュー出来るというほど飛び抜けている訳ではないが、友人とカラオケに行くとよく上手いと言われる。初めて一緒にカラオケに行った人は大抵驚いてくれる。とある友人には、出会ったことのある人で1番上手いと言ってもらったことがあるので、これら全てが社交辞令ではないと思いたい。カラオケの採点もまあまあ採れる。そこそこ人に自慢できると思う。

 

僕はそこそこ文章が書けると思う。芥川賞候補というほど飛び抜けている訳ではないが、学校で書かされた作文が表彰され、よくわからない市の冊子に名前が載ったことがある。現代文の教師に、僕が記述問題の解答として書いた文章を好きだと褒めてもらったことがある。このブログに関しても、面白いと褒めてもらったことが何度かある。そこそこ人に自慢できると思う。

 

ここまで述べたように、僕はそこそこなんでも出来ると思う。しかし、僕は飛び抜けた才能がひとつもない。勉強にしても、運動にしても、芸術的な何かにしても、どれもそこそこしか出来ない。そこそこ以上の成果を得られない。周囲からしたら十分満足なものかもしれないが、僕は満足できない。もっと賢くなりたい。もっと運動ができるようになりたい。もっと、もっと、全てが出来るようになりたい。周囲から天才だと称賛されたい。この人は特別な存在なんだと尊敬されたい。しかし、僕にはどれもそこそこの才能しかない。どの才能を磨けばいいのかもわからない。僕は秀才にはなれど、天才にはなれない。特別にはなれない。僕のそこそこの才能は、飛び抜けた才能への劣等感にしかならない。自慢したって、自尊心は満たされない。焦燥に駆られた向上心しか残らない。向上心のないものは馬鹿だと言うが、向上心のあるものが幸せになれる保証はどこにもない。

 

才能が欲しい。