思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

虐待

親からの虐待により女子児童が死亡した事件があった。この家族は児童相談所とやり取りをしていた過去があった。やり取りの中でこの事件を防げたのではないかと、マスコミが児童相談所を非難するニュースを見た。僕は非難する相手は児童相談所ではなく、虐待した親だろうと思った。僕の見た限りでは、そのニュース番組は児童相談所ばかりを非難していた。肝心の親に関しては、父が暴力を振るったということぐらいしか報道されていなかった。まだ取調べが進んでいなかったのかもしれないが、父親が具体的にどのような虐待をしたのかや、母親が何をしていたのかをしっかりと説明するべきではないかと感じた。結局のところ、父親が女子児童を殺したのであって、児童相談所が殺したのではないのだから。

 

このような事件を見ると、子育てはできるだけ大きい集団で行うべきだと思う。もし祖母や祖父が同居していたら、父親の虐待を止めていたかもしれない。父親に対し、虐待は行けないことであると伝え、どのように子育てをするべきかを教えることが出来たかもしれない。近年は核家族が増加傾向にあるが、これは由々しき問題である。

 

しかし、いざ僕が結婚する時、大家族を提案するかと言われれば、少し悩ましい。義理の両親と共に住む場合、僕と僕の妻となる人は親密な関係(親密でない可能性もあるが、ここでは僕の願望を尊重し、親密であることにする)だが、僕と義理の両親となる人は他人も同然である。僕はそもそも1人を好む性格なので、親密な人とならともかく、他人と住めと言われると、少し辛い。逆に僕の両親と共に住む場合、俗に言う嫁姑問題が発生する可能性がある。大好きな妻(大好きでない可能性もあるが、ここでは僕の願望を尊重し、大好きであることにする)を苦しめることはしたくない。よって、子育てのことを考えれば大家族の方が良いが、実際には核家族になってしまいそうな予感がする。

 

こんなことを考えていると、自分は結婚するべきではないのかもしれないと思えてくる。そもそも僕のような人間が子供を上手く育てられるのか、不安でしかない。上手くいく自信がこれっぽっちも存在しない。結婚する予定は皆無なのでこんな心配は全くの杞憂なのだが、考え始めると止まらないのが僕の性格だ。もっと思考能力の低い種に生まれたかった。生まれ変わったらフジツボとかになりたい(フジツボに失礼)。