思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

りんごとは何だろう

りんごについて考えようと思った。

 

「りんご」とは何だろう。ある人は赤い果実だと答え、ある人は青いりんごだってあると主張し、ある人は青リンゴの色は緑だと言うだろう。スティーブ・ジョ○ズが作り上げた会社だと言う人や、東京○変のボーカルだと言う人もいるかもしれない。ジョ○ズだけじゃなくてウォズニ○ックも関わっていると言う人や、東京事変が活動再開して嬉しいと言う人もいるかもしれない。人によって異なる存在を思い浮かべるだろうが、これらはどれも「りんご」である。

 

このように、「りんご」という言葉にはたくさんの意味があるように思われる。しかしながら、我々は日常会話で「りんご」という言葉が使われた時、その意味の多さに混乱することはない。果物の話とiPh○neの話が交錯することはない。これはいったいなぜだろう。

 

この疑問の答えは簡単で、我々は「りんご」という言葉からだけでなく、「りんご」を取り巻く文章からも意味を推測する能力を持っているからだ。「昨日食べたりんごが美味しかった」と言われれば、まさかiPh○neを食べたのか、とは思わないし、「キ○ィちゃんの体重はりんご3つ分」と言われれば、えらい重たいりんごやなぁ、とは思わない。この能力が備わっているため、我々は日常で「りんご」に翻弄されることはない。

 

では逆に、「りんご」は「りんご」でなければならないのだろうか。「リンゴ」や「林檎」はダメだろうか。一見すると、「りんご」、「リンゴ」、「林檎」のどれでも問題ないように思える。もっと言えば、「禁断の果実」、「ニュートンが落ちるところを見てたやつ」、「青森、長野、山形」でも問題ないように思える。「昨日食べた禁断の果実が美味しかった」と言われれば、りんごを食べたんだな、と思うし、「キ○ィちゃんの体重はニュートンが落ちるところを見てたやつ3つ分」と言われれば、えらい重たいりんごやなぁ、と思う。

 

しかし、「キ○ィちゃんの体重は青森、長野、山形3つ分」と言われれば、もはやりんごの跡形はない。キ○ィちゃんはメルヘンな生き物からとてつもない化け物へと変わってしまう。

 

ここまでの話をまとめよう。「りんご」という言葉はたくさんの存在を指すが、その存在を指す言葉は「りんご」だけではないことが分かった。また、ある存在を指す言葉はたくさんあるが、キ○ィちゃんのおかげでそれらの言葉は全く同じという訳ではないことも分かった。

 

さて、同じ存在を指す言葉なのに、全く同じではない、という現象が起こるのはなぜだろう。これは考えてみれば当たり前のことで、「りんご」と同じように、他の言葉もまた複数の意味を持ち、それらを取り巻く文章によって意味を推測されているからである。ある時は同じ存在を指し、ある時は同じ存在を指さない。この曖昧さが言葉の本質かもしれない。

 

ひとつの言葉だけでなく、言葉が連なった文章となることで初めてひとつの意味をなす。なんだか神経細胞と神経網の関係みたいである。

 

話がまとまらなくなってきた。僕はりんごについて考えようとしていたはずなのに、いつの間にか言葉について考えていた。しかしこれは問題ではない。元から話をまとめる気などなかった。考え事をしていて話がまとまった試しがなかった。そもそもなぜりんごについて考えようと思ったのだろうか。なぜそれを久しぶりのブログ更新のネタにしようと思ったのだろうか。分からない。唯一分かることは、目の前にワインボトルとコップがあることだ。それ以外は分からない。

 

こうして僕は無知の知を体験し、より一層学問に励むのであった。

 

明日はりんごを買おう。