思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

十分

大学生活は終わったも同然で、残すところは10分間の卒論発表のみとなりました。10分間のみです。大学側は学生の1年をまとめるには10分で十分だと思っているということです。10分で十分になるような生活しか与えるつもりがないということです。我々は舐め腐った教育を受けていたんだなと思います。しかしながら、大学側がそのような思考に至る故として、彼らが経験したかつての学生生活が10分程度の内容だったためであることが考えられます。彼らもまた舐め腐った教育を受けていたのですね。舐め腐った教育を受けた者は舐め腐った教育しか行えません。被害者は次の被害者しか生産できません。人類は負のループからもう抜け出せなくなっているようです。そう思い至った私は彼らに怒りを覚えることはなく、自分と同じ被害者であることに哀れみの感情を抱くこととなりました。私もまた、後に生み出される被害者から哀れみの目を向けられる日が来るのでしょうか。被害者の皆さん、あなた達が慈悲深くも私に何らかの感情を向けていただいたとしても、残念ながら私に与えられた時間が変わることはありません。10分しかありません。足りません。

 

足りませんので、今からこの場で大学生活を振り返りたいと思います。

 

春。希望の春。願書を出したら受かってしまった春。賢いじゃんってちょっと調子に乗った春。あの頃は大学に受かっただけなのに、自分が世界から認められたかのような気持ちになっていました。社会が私のために座席を用意してくれたかのように感じました。受験勉強が報われて、これから華やかな人生を歩んでいけるのだろうと思いました。

 

ここで皆さんに驚愕の情報をお伝え致します。春以降の記憶がございません。前頭葉から側頭葉、脳幹まで隅々探しましたが、一欠片も見つかりません。大学生活って10分で十分なんですね。被害者の皆さん、お陰様で足りました。

 

この10分で私が感じたことは、私は自分ひとりのお世話でいっぱいいっぱいだということでした。ご飯は3食も用意できなくて、栄養バランスがズタボロでした。掃除はやる気がおきなくて、毎日部屋がとっちらかっていました。皿洗いが面倒で、シンクは使い終わった食器を保管する場所になっていました。朝は寝不足でフラフラしていました。夜も眠れなくてフラフラしていました。こんな生活なので持病のアトピーが悪化して皮膚がヒリヒリしていました。健康で文化的な生活とは言い難い10分間でした。

 

このように、私は自分ひとりの生活を続けるだけでも精一杯で、精一杯なのに普通に生きられないほど、生活力が欠如した人間であることが分かりました。これは私にとって大きな発見でした。ありがたいことに高校までは何かと人生が上手く回っていて、私は人間の中でも割と全般できるタイプなのだろうと自負していた節があったのですが、大学の10分間はそれが単なる驕りであって、大海を知らない蛙が井戸の中でイキリ散らしてるに過ぎなかったということを教えてくれました。

 

蛙であることを痛感した私は、まずは自分ひとりのお世話をちゃんとできるようになろうと思いました。私がひとりで生きていくだけならばお世話なんて杜撰でも構わないのですが、これから先、私が血迷って人生の墓場と揶揄される結婚をしてしまう可能性は排除できません。自分のお世話も満足にできない人間が、最愛の人間を大事にする余裕なんて存在しません。ましてや子育てなど尚更のことです。これでは私に愛される人間達に申し訳がなさすぎます。愛する人達を負い目なく愛せるように、まずは自分のお世話をちゃんとできるようになって、その後、 自分以外にも2,3人のお世話がこなせちゃうような余裕を手に入れたいと思います。

 

さて、4年間が10分だった私は、これからあと60年生きても150分にしかなりません。2時間半しかありません。短いですね。この短い人生で、いったいどれだけ自分のお世話が上手くなれるでしょうか。自信は皆無ですが、程々に頑張ってみたいと思います。程々に頑張った果てに、死の間際、「十分な人生だったなぁ」と言えたらいいなと思います。きっとそれは幸福な最後だと思います。

 

十分書いて満足しましたが、オチが思いつきません。まあ、冒頭で「10分で十分」なんて書いている時点で出オチみたいな文章ですよね。もう十分でしょ。おわり。