思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

それでもあなたはいちどきり

一般的に、何かの終わりは何かの始まりとセットでありまして、本当の終わりってのは命が尽きるその時までやってこないみたいです。さらに言えば、仏教的な考えでは死んでも輪廻がぐーるぐるしてまた生が始まってしまうらしく、本当の本当に終わるためには徳を積んで解脱しなければいけないようです。もし頑張って解脱ができたら、そこには自由、永遠の生、不死、等々と形容される世界へと進出することが可能となり、終わってんのか始まってんのかよく分かんねぇ状況になるようです。まあ、この文章を読んでいる皆さんは一般ピーポーど真ん中ですので、解脱なんてできるわけないですよね。よって皆さんは、終わりと始まりというハッピーセットなんだかアンハッピーセットなんだかよく分かんねぇ状況を永遠と繰り返すといった、終わってんのか始まってんのかよく分かんねぇ状況に陥っているのです。幸福なのか不幸なのかよく分かんねぇですね。

 

しかしながら、この終わりと始まりの間には一定期間の猶予が存在する場合があるようで、私はこの間に絶賛生息中なわけです。いやぁー暇ですね。最高ですね。大学院行きたくないですね。

 

これ脱線ですけど、もしかしたら大学が終わったら大学院が始まるんじゃなくて、間が始まるのかもしれませんね。そして間が終わると大学院が始まるのかもしれませんね。我々は既存の枠組みばかりを意識してしまって、型にはまらない何者かを常々見逃してしまっているのかもしれませんね。

 

さて、話を戻しましょう。てか、実は今までの話は今回めちゃくちゃどうでもよくてですね、話を戻すどころではなくて1から書き直したいくらいの心情なんですよね。書き直しませんけど。せっかく書いたので読んでください。主題と関係のない私の話を読まされる皆さんには同情します。かわいそうに。

 

これも脱線ですけど、かわいそうって変な言葉ですよね。普通は「おいしい」と「おいしそう」、「こわい」と「こわそう」、「たのしい」と「たのしそう」、みたいに、「そう」を付けることで元の意味はそのままに人の推測が介入したように思います。しかし、「かわいい」と「かわいそう」はこの法則に当てはまらない気がするんですよね。元の意味から変わっているように感じます。なんなんでしょうねこれ。昔はかわいいものがかわいそうに見えていたんでしょうか。かわいい人は悪者に狙われやすい的な。ちょっとホラーですね。

 

さて、話を始めましょう。今回話したいことは私の同級生たちの話です。私は春から入院生活を送りますが、同級生たちの中には社会人生活を送る人々がいます。いやぁ〜時の流れは早いですね。同じ学び舎で勉強したりしなかったりした皆さんが、気づけは社会の歯車です。かわいそうですね。あ、これは皆さんのことを悪く言っているわけではないですよ。私はホラーだなぁと言いたいわけです。ホントですよ。かわいそうかわいそう。

 

さて、話を進めましょう。私は社会人になる同級生たちに言いたいことがあったのでこの記事を書いています。まあ私は社会人を経験していないクソガキなので新社会人に物申す立場ではないわけでして、皆さんにはクソガキの戯言程度に受け止めてもらえたらいいなと思います。ということで皆さん、心して読むな。

 

……ってことで以下つらつらと書き記していこうと思ったんですけれども、言いたいことをひとつ書いたところで、いやぁこれは人によるなぁ、と思ってしまって。皆さん宛に書いているんだからこれじゃあダメだよと消してしまって。そうしてまた言いたいことを推敲してひとつ書いて、いやぁこれも人によるなぁ、と思って消してしまって。そうしたことを繰り返すうちに、遂には諦めようという結論に至りました。皆さんという主語は余りにも大きすぎました。風呂敷を広げすぎました。申し訳ない。

 

やはり、我々は同じヒトですが、同じ人間ではないわけです。誰かにとってはそうであっても、別の誰かにとってはそうでないわけです。そういったことに気付かされました。ひとつ成長できました。皆さんのおかげです。

 

さて、話をまとめましょう。といっても、まとめることが困難な程に内容がとっちらかってしまいました。脱線が終わってんのか始まってんのかよく分かんねぇ状況に陥ってしまいました。ここまで文章が拗れるともう全部消して1から書き直したいくらいの心情なんですよね。書き直しませんけど。これほどまでに難解な文章をここまで読んでくれた皆さんには大変同情します。ホラーそう。こんなホラーは消さないのに、主題予定だった皆さんに言いたいことはしっかり消してしまって。そういったことに気付かされました。皆さんのおかげでした。