思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

死に場所を求める老兵

高二の夏、僕は広島大学にいた。総合文化祭に出場する為だったが、そのプログラムには大学の施設見学も含まれていた。ある部屋では、アフリカツメガエルが大量に飼育されていた。実験で殺される運命とは知らずぷかぷかと浮かぶ彼等を見ても、特に心は痛まなかった。別の部屋では、羽の生えていないコオロギが大量に飼育されていた。アフリカツメガエルの餌にされる運命とは知らずケースの中を跳ね回る彼等を見ても、特に何も思わなかった。

 

命は平等だろうか。

 

あの部屋のアフリカツメガエルは決して犬死する訳ではない。科学の発展の為にその命が使われるのだ。意味のある死だと思う。あの部屋のコオロギも同様だ。科学の発展の為に使われるアフリカツメガエルの為に使われるのだ。意味のある死だと思う。この点で、彼等の死に様は素晴らしく、それ故に命に価値が生まれているように感じる。

 

彼等が飼育されていた建物の廊下にはゴキブリホイホイがあちこちに設置されていた。「コオロギが何匹か逃げちゃうから、それを捕まえるために置いています」と従業員が教えてくれた。逃げちゃったコオロギは無駄死にするらしかった。

 

僕の命は何の為に使えるだろう。僕の死は何の役に立つだろう。誰が僕の命を必要としてくれるだろう。誰に僕の命を渡せばいいだろう。

 

そんなことばかりを考えている。

 

ただ自殺するだけでは、僕の命は無駄になってしまうように感じる。むしろ、家族や友人に迷惑を掛けてしまうことだろう。これでは無駄どころか邪魔だ。死に場所を選ばねばならないと思う。

 

しかしながら、死に場所の選び方が分からない。昔の老兵は戦場を駆け回っていればよかっただろうが、僕は兵士ではない。僕にとっての戦場は何処だろうか。

 

今日も死に場所を求めて。