- 甘やかされたい
- 抱きしめられたい
- それはもうギューってされたい
- 頭を撫でられたい
- それはもうナデナデされたい
- ヨシヨシでもいい
- ワシャワシャでもいい
- 膝枕されたい
- 膝枕されながら頭を撫でられたい
- ダメな自分を受け入れて欲しい
- ダメな自分を直せって言わないで欲しい
- ダメなままでいいよって言って欲しい
- でもたまには叱って欲しい
- たまには褒めて欲しい
- 褒めるのに語彙力は求めない
- 「すごいねー」って言ってくれたらいい
- 「頑張ったねー」って言ってくれたらいい
- そしてギューってされたい
- さらにナデナデされたい
- このまま幸福を感じながら眠りにつきたい
これらは僕の願望だが、叶えてくれる人はいない。叶えてくれそうな人もいない。願望は願望のまま、願われるだけで、叶うことはない。
叶わないと分かっていても、願望は願望として存在し、願わずにはいられない。これは僕が俗物であることの証明である。一刻も早く悟りを開くことが望まれる。しかし、この望みもまた願望であり、望まれるだけで叶うことがないということは言うまでもない。
仮に願望が叶ったとすると、僕は相手からとてつもない幸福を与えられることだろう。しかし、僕にはそのお返しができない。相手に与えられるものは何一つ持ち合わせていない。幸福を感じたいが、無闇に与えられても自己破産してしまう。
例えば、ペットなどは飼い主にこれらの願望を叶えてもらうのと同時に、飼い主に癒しや幸福感を提供することができる。これは相利共生の関係である。僕には相利共生は築けない。なぜなら僕はペットのように可愛くないからだ。愛玩動物に生まれたかった。ポメラニアンになりたかった。
来世ではポメラニアンになって、ご主人様にうんと愛玩される一生を経験したい。