思考記録場

日常生活の中で気になったことや、感じたこと、考えたことを記述するだけの場所。

尊敬する先生

尊敬する先生について纏める。前の記事に、尊敬する先輩について纏めた記事があるので、そちらも合わせてどうぞ。

 

中学1年生の頃に担任を受け持って頂いたK先生は、僕が最初に尊敬した先生だ。生徒想いの熱い先生で、何事にも全力で取り組む人だった。何でも最低の実力しか出せなくても1番になれるくらい努力しろとよく仰っていた。この最低でも1番理論は僕の考えの根幹を成している。根幹を成しているだけで、この理論に基づいた行動が出来ている訳ではないが、行動できた時は結果も伴っているので、僕はこの理論が好きだ。僕は特に目をかけてもらって、学年が上がり担任を外れてからもよく話していた。僕の中の情熱的な感情はK先生によって形成された。

 

中学時代の尊敬する先生はもうひとりいる。美術のT先生だ。T先生はお年を召していて、1度は定年退職されていた。ちょうどそのタイミングで東日本大震災があったので、そのボランティア活動に精を出していたそうだ。そんな中、うちの中学校の美術担当の教員が不足し、もう1年だけという条件付きで再び学校に戻ってきたという人だった。この人も情熱的な先生で、松岡修造と金八先生を足して2で割ったような先生だった。決して生徒の作品を酷評せず、どんな作品に対しても良いところを見つけて褒めてくれる人だった。そんなT先生が好きで、よく部活をサボっては放課後にT先生と美術室で作業をしていた。1年の終わりごろに僕が描いた鶏の水墨画を絶賛してくださり、全クラスの授業中にこの水墨画を紹介して僕のことを褒めてくださったそうだ。僕はとても恥ずかしかったが、同時にとても嬉しかった。今でも動物の絵を書くのが好きだ。

 

高校に入学し、国語のY先生に出会った。Y先生は話が面白い。偉そうなのに嫌な気がしない。あの話術は才能だと思う。Y先生の話はどれもよく覚えているが、その中でも人の心についての話が僕は好きだ。人は嫌いになる時、一方だけが他方を嫌いになるのではなく、両方が同時に嫌いになるというものや、ある人のことがわからないという人は、大抵その人のことを分かろうとしていないというものなど、言われてみると確かにそうだと思えることを話してくれた。この人の心の話は、僕が心を考える時の基盤となっている。Y先生はテストの解説に生徒の解答を配るのだが、その解答は褒めるためではなく、時として悪い点を指摘するために載せられる。テストの解答としては満点だとしても、褒められるとは限らないのだ。ある日、配布された内の一つが僕の解答だった時があった。しかも1番最後に載っていた。絶対オチに罵倒するために載せたやんと思っていたら、普通に褒められて、「この解答が僕は好きなんです。こんな文章が描けるようになったら、現代文も楽しいでしょうねぇ」とまで言ってくださった。とても嬉しかった。Y先生には僕が推薦入試の志願理由書を書く際にも文章を校閲していただき、そのお陰で大学に受かったと言っても過言ではない。感謝してもしきれない。

 

高3で地理を教えていただいたI先生も恩師だ。この人が僕を地理好きに変えた。それまでは地理なんか大嫌いで、センター試験は世界史で受けようとしていたくらいだったのに、I先生の授業が面白すぎて瞬く間に地理好きになってしまった。I先生にはとても気に入ってもらって、僕はデータブックオブザ木谷の称号を授かった。これは僕が統計を尽く言い当てたからであるが、当たったのはたまたまで、実は僕は暗記が嫌いだ。この称号を得たばかりに授業中に逐一統計を聞かれるようになり、覚えるのにたいへん苦労した。本当にやめて欲しかったが、このおかげで苦手な統計をクリア出来た。最終的には学年でも上位にくいこめるほど成績も伸び、I先生の作ったセンター試験そっくりなGンター試験初代王者にもなれた。センター当日にI先生と満点を誓いダブルグータッチを交わしたにも関わらず、84点しか取れなかったのが今でも悔しい。しかしながら1年で8割取れるようにしてくれた先生には頭が上がらない。今でも先生から頂いたデータブックオブザ木谷の名に泥を塗らないように最新のデータブックを購入し、愛読している。

 

僕が最も影響を受けた先生は間違いなく生物教師のT先生だ。僕は中学生の頃までは、何となく理系に進んで、何となく物理を学んで、何となく大学に進んで、何となく就職するのだと思っていた。この曖昧な人生計画をぶち壊してくれたのがT先生で、何となく楽しそうという理由で入部した自然科学部で生物の楽しさを教えてくれた。先生の授業は常に質問形式だった。正解すると淡々と授業が進み、間違えると「バカヤロー」や「イマイチやな」と言われて次の人に質問が受け継がれる。先生の質問は基本問題から意味不明な語呂合わせまで多様なので、何を聞かれるのか全く予測できない。例えば、「NADPのPは何のPや」と急に大喜利が始まる。みんなそれぞれPから始まる言葉を答えるのだが、なかなか先生の答えにたどり着かない。そして、誰かが「ピーマンのぴー!」と答えると、先生は「おう、これはピーマンのPや」と真顔で答えた。その後、「ピーマンの緑色を思い浮かべれば、このNADPは植物のものだって、一目で分かりますよね」と少しニヤリとしながら付け加えた。これを聞いた瞬間はクラスみんなが馬鹿にして笑うのだが、実際に問題を解いてみると、(ピーマンのPやな)と頭の中で瞬時に思い浮かび、正解を導けるようになっていた。T先生恐るべし。この楽しい授業のおかげか、僕は生物の勉強は全くしていなかったが、模試では他の教科よりも抜きん出て良い成績を取ることが出来た。この成績に気を良くした僕は人生計画を変更。生物学者になろうと考え始めた。さらに、先生のご指導のおかげで全国大会で生物の研究発表が表彰された。これに調子に乗った僕は人生計画を大幅に変更。生物学者になってノーベル賞を貰おうと妄想し始めた。ここまで生物を好きにさせてくれたT先生にはとても感謝しているが、これで研究者になれなかったら先生には責任を取ってもらって、僕を助手として雇ってもらおうと思う。

 

以上が僕の尊敬する先生方だ。他にも大学の先生や、高校の先生にも尊敬する人は沢山いるが、キリがないのでこれくらいにしておく。先生が僕のことを忘れても、僕は先生のことを一生忘れないだろう。